2011年5月26日

iphone投稿テスト


 itogensan
いろいろあって大阪滞在も二週間近くなってしまった。
17:19

 itogensan
先のことはわりと適当!とにかく目的地(各県の県庁)が待っているのみだ!
17:20

2011年5月20日

ニートなう


itogensan
大阪でのニート生活も1週間を迎えてしまった。いろいろなことが起きて大変だ。簡易宿泊所の従業員、日雇い労働者、外国人バックパッカーなどとの交流が刺激的
20:17

 itogensan 
あるCiv4のプレイレポを見て投稿をツイッター風にしてみた
20:19

 itogensan 
手打ちでhtmlをいじるのがめんどうでござるwww
20:19

2011年5月16日

47日目 24歳にして大阪府庁に到達

5月14日(土)

24歳になった。
大阪府庁に着いた。




安宿に滞在して装備調達+Web制作の勉強中

2011年5月14日

46日目 ついに脱いだ!(笠)

46日目(2011.5.13)



18日目に買った三度笠。
4週間の使用期間を経て、耐久日数を迎えたようだ。



臭うのだ。
草が雨と陽射しで分解されアンモニアが発生している、といったところだろう。
笠と接触する部分の頭皮の調子も悪く、荒れている。
もう使用を諦めることにした。
さらば笠一号。今までありがとう。

笠に別れを告げ、2泊したワカヤマ第2冨士ホテルを後にする。
今日の天気は良好だ。
ホテル近くの和歌山市駅から南へ進み、県道64号線を北上して峠を越える。

境橋を越えればに大阪府に入る。
首都東京を出発して一か月半、ついに西日本の一大都市圏に入る。
感慨深いものがあるぞ。

そこからしばらく北東に進み、海沿いの公園に立ち寄った。
長い橋の向こうに関西国際空港が見える。
まだ16時である。
ここで旅をやめると決めれば、これから北海道に飛んで、今日中に実家に帰ることが物理的に可能だ。
そんなことを考えながら、先へ進む。

途中、大阪府立大学の新しい雰囲気の校舎があった。
どんな学生がいるのだろう。

今日の宿は大阪府泉佐野市、ホテルシーガル。
素泊まり3800円。
フロントで「東京から歩いてきたんですよ」と言うと、冗談だと思われた。
関西人は冗談をよく言うからそちらの基準に慣れているんだろうか?


46日目(2011.5.13)
歩行距離37Km(トータル1227Km)

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45日目 ホテル籠る

雨、靴が乾いてない、ブログ更新がたまってる、
といった理由でワカヤマ第2冨士ホテルに2泊目。

夜には雨があがったので近所の洋食店を調べて食べに行った。

和歌山市駅近くの「カレーヤ」。
カレー屋ではない。
豚肉を甘辛く炒めた「バラホル」が美味しかった!
そのほか、「ヘレカツ」が人気メニューなようだ。
(ヒレカツのことをそう呼ぶ)



44日目 和歌山県庁に到着

44日目(2011.5.11)


大雨の予報に反して、出発時には雨が止んでいた。
昨日と同じだ。
民宿 南村渡船を出発して、近くのコンビニで食パンを頬張る。
食パンは値段あたりのカロリーが高めなので重宝する。


2011年5月11日

43日目 今日も暑い

43日目(2011.5.10)



紀伊御坊駅前の旅館あやめを出て、吉野家で朝食をとる。



今日は天気がすぐれない。

出発するときには雨はほとんど降っていなかったが、気温が高いので湿気がものすごく高い。

耐えかねて腕をまくる。

日焼けした手の甲と白い腕とのコントラストがくっきりだ。



紀伊山地の西側に出てからは山に登ることはもうないと思っていたが、そんなことはなかった。

紀伊内原から先の国道は歩道がなく、曲がりくねっていて視界も悪そうだ。

ということで紀伊路のパンフレットに従って古道を進むことに。



山道に行くまでに道を間違え、1時間以上をロスした。

徒歩で道を間違えると精神的に疲れる。

今日は高温多湿の中を歩いていたのでなおさらだ。



熊野古道最長という石畳のある山道を越えて湯浅に着く。

湯浅町の町役場に熊野古道のパンフを貰いに行ったが使えそうなパンフがなかった。

仕方ないのでグーグルマップに頼ることにした。





海沿いの曲がりくねった県道を進む。

大場祐輔氏もこの道を通ったのか。

と、思いをはせた。



有田市中心街の箕島駅前に着き、飯屋に入った。

宿が無いか聞いたがいい情報は得られなかった。

近くにビジネスホテルがあるが素泊まり5000円と割高感あり。

もう少し進んだ初島駅前の南村渡船が素泊まり3500円ということだ。

「旅行客はちょっと・・・」と渋られたが、なんとか泊めてもらえることに。



久々に日暮れ後に歩いて南村渡船に着いた。

運営している方の住まいとは別の建物だ。

今日は僕の貸切である!



43日目(2011.5.11)

歩行距離38Km(トータル1163Km)



より大きな地図で 43日目(2011.5.10) を表示











42日目 トマトとアワビ

42日目(2011.5.9)



久々のホテルでの朝食だ。

田辺市街、ホテルカルティア。

ロビーのカフェで簡単なビッフェが用意されている。

パンが美味しい!

そして卵料理。

スタッフがその場でオムレツや目玉焼きを用意してくれる。



僕は大学1年の頃、大学の近くのホテルでオムレツを作る仕事をしていた。

ここのホテルと同じように、お客さんの目の前で作る。

半年ほどの勤務だったが、その後の自炊生活に大いに役立った経験だ。

とき卵の入った容器や小さめのフライパンを見て懐かしく感じた。



たっぷりと食べて、10時にホテルを出発。

今日はとびきり暑い。

中辺路の山道を越えればもう汗だくになることは無いと思っていたが、甘かった。



顔と背中を濡らしながら、梅干しの名産地みなべ町を通り抜ける。

道路沿いに梅干し工場などがあり、時々梅干しの香りが漂ってくる。



(暑さに負けて休憩中)


昼過ぎに日陰の自販機の前で休んでいると、車で乗り付けてきたおっちゃんに声を掛けられた。

「大学生?」

「まぁ、そんなとこです」

「そんなとこって・・・」

「3月で辞めたんです」

「そらあ、親も心配してるやろ」

まあ、これが一般的な反応である。



「大学をやめた」って言うとあんまりいい反応をしない人は結構いる。

「それは親不孝だろう」みたいな。

そんな単純なもんじゃ無いんだけどなあ。

しかし大勢の人間は「大学に入学したらちゃんと卒業する」のが常識だと考えている。

僕は世間の常識と自分の現実とを分離させているけど、彼らにとっては常識が現実。

僕は自分を常識に合わせる気なんて更々無い。

だから常識を変えないと、彼らが僕を認める日は来ないだろう。



また汗だくになりながら御坊に向かう。

夕方ごろに声を掛けられたばあちゃんにトマトと柑橘類をもらった。

トマトを丸かじりするのは何カ月ぶりだろうか。

うまかった。



御坊市街に入り、市役所前駅の近くの福寿司に入った。

多少出費がかさむが、夜は寿司屋に入ることが多い。

お客さんの水準が高いからだ。

寿司屋に来るような人は経済的に成功していることが多いので、学ぶべきことが多い。

授業料だと思えば投資する価値がある。

後から入ってきたお客さん(医者?)にアワビの握りとカツオのタタキを奢ってもらったりした。



色々と食べ物なんかを貰ったりする。

そのモノ自体も嬉しいんだけど、なにより心意気が嬉しい。

だからアワビもトマトも同じ様に有難く感じる。





42日目(2011.5.9)

歩行距離36Km(トータル1125Km)



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2011年5月8日

41日目 中辺路4(ラスト)

41日目(2011.5.8)

今日の目的地は結構遠い。
朝食を6時半にしてもらい、7時過ぎには出発した。

今日も前半は山道だ。
パンフの高低差を参考にして
「よし、ここまでくれば残りは下りだな!」
とか思ったりするんだけど、そう甘くなかったりする。

地図には明記されていないだけで、最後までアップダウンが続いた。
例のごとく汗だく。

昼に休憩していると、熊野古道のガイドの女性におにぎりをもらった。
その一行のうちの一人は鹿児島から来ており、鹿児島のミネラルウォーターが休憩場に売っているということでそれを奢ってくれた。

ここから先は国道の周りの道が古道になっていたり、国道の一部が古道だったりする。
パンフに従うと田辺への到着が遅れてしまうため、古道と関係なく短いルートを選んだ。

そんなわけで17時過ぎには田辺へ到着した。
ひさびさの街だ。
この規模の市街地は伊勢以来ではないだろうか。


今日歩きながら考えていたことはRoAR普及の方法についてである。
起業を考えていた背景には、「RoARを事業化して収益を上げて見せることでその有用性を示そう」という思惑があった。
しかしNPOという概念を利用すれば、僕がそれをせずとも既存のIT企業や起業家がやってくれるかもしれない。
RoARの概念を普及させるためのNPO法人を設立し、情報発信をすれば、そうなるのではないか?
客観的にみるとたぶん劇甘な考え方ではあるが、そのほうが敷居は低く、つかみとしては悪くないのではないだろうか。
「RoARというアイデアを他人にゆだねる」というのは旅を始めた当初の方針だった。
ここにきて其処へ立ち返った。
しかし特定NPOには色々と条件がある。うーむ・・・。

40日目 中辺路3

40日目(2011.5.7)







朝9時過ぎ、わりとのんびり出発。
今日はわりと短めの行程だ。
山道に入る前、でかいカタツムリに遭遇した。
東京じゃなかなかお目にかかれなかった。
家の近所でそこらじゅうにカタツムリがいた札幌時代を思い出す。

カタツムリがいるということで当然地面が濡れている。
出発したときには既に雨が止んでいたのだが、如何せん湿気が高い。
雨上がりの山中は霧がかかったように高湿となり、かなりジメジメする。

例のごとく汗だくになりながら山を越え、宿泊地に到着。

近露王子の近く、「民宿 なかの」
一泊二食7000円

鮎などの魚料理がうまい。
夕食のメニューには赤身の刺身があった。
馬肉かと思って尋ねると、なんと鹿の刺身だという。
癖がなくて食べやすかった。
脂の少ない馬刺しのような感じだ。

オーナーは以前は林業でチェーンソーを振り回していたそうだが、身を案じて転身したそうだ。
もともと釣り目的の客をターゲットに開業したそうだが、最近は古道歩きの客も多いという。
6~8月には鮎釣りのガイドもしており、釣った鮎を炉辺で焼いて食べれる。
釣好きにはたまらないのだろう、プロの釣り名人の色紙が数枚あった。

聞くところによると紀伊半島でも津波の被害は凄かったらしい。
養殖業が壊滅的な被害を受けたんだとか。
全然知らなかった・・・。

翌日には中辺路も終わりだ。
この道のりはガチで登山だった。
名古屋でトレッキングシューズを買っておいたことを本当によかったと思う。


2011年5月7日

39日目 中辺路2

39日目(2011.5.6)


午前2時起床。
食パン3枚とバナナ2本を頬張り、2時半に出発。
那智駅前、民宿那智から熊野那智大社を目指す。

しばらく北上すると大門坂に着く。
街灯の無い石段で、当然真っ暗。
まだ4時前である。
ビデオカメラの液晶で足元を照らした。
周りの茂みからガサガサ音がなっている。
なにか小動物がいるようだ。
怯えながらも登る。

4時過ぎに熊野那智大社に到着。
隣には青岸渡寺もある。
この時間の寺社は独特の雰囲気が漂っている。
観光客を含めて人がおらず、立派な寺社のみが薄明かりに照らされている。
ゲームの世界を見ているようだ。

オブリビオンとかね

一休みしてから山道に入っていく。
時刻は4:40くらい。
日の出前だが徐々に空が明るくなっており、足元も見える。

最初の山道は大雲取越(おおくもとりごえ)だ。
雲の中を進むがごとき険しさからついた名前らしい。
アップダウンが続く。
この日は海沿いの那智からスタートしたことを考えれば、高低差は800m以上ある。
完全に山登りだ。
ワイシャツで歩くヤツなんて他にはいないだろう。
汗だくになりながらも順調に前進し、10時前には下山できた。

下山口の小口。
ここの郵便局でお金をおろした。
全国津々浦々にまである郵便局は長旅の強い味方だ。

次は小雲取越である。
「小雲取越は大雲取越に比べれば楽」というようなことがパンフに載っていたので、軽い気持ちで登り始めた。
しかし、これがかなりキツい。
日が昇り気温が上がっている。
まだ涼しかった大雲取越ですら汗だくになったのだ。
気温が上がればなおのこと汗が出る。
しかも小雲取越に入山してしばらくはずっと登り道である。
大雲取越の疲れも相まって、かなり辛く感じた

ちなみに大雲取越と小雲取越は普通二日間かけて進む行程である。
それに+αした道のりを一日で進むとは、我ながらタフだ。

昼過ぎに下山して、残った食パンを頬張る。
ずっと外食続きで贅沢をしていると、食事の嗜好に変化が現れる。
贅沢な食事への評価がそれほど特別ではなくなり、相対的に質素な食事への評価が上がるのだ。
つまり、食パンをかじることの喜びと寿司を食うことの喜びがかなり近いレベルになっている。
どんな食べものでも不味くなけれさえすれば、それなりに美味しく頂けるようになったのだ。
これはいいことなのかどうなのか・・・。

小雲取越を抜け、しばらく国道を進むといよいよ熊野本宮大社のお目見えだ。
これで熊野信仰の聖地、熊野三山に参ることが出来た。
唯物論者のくせに信仰深いヤツだ。
熊野本宮大社の今年の標語は「歩む」らしい。
なんか嬉しいね。

ここからまた山道を抜け、宿のある湯の峰温泉に行く。
また汗だくになりながら下山した。

ここ湯の峰には世界遺産の「つぼ湯」のほか、「湯筒」という高温の温泉がある。
ここに卵や野菜を入れて茹でるのだ。
そういえば温泉卵って温泉で作るから温泉卵なんだよなあ。
つぼ湯

湯筒。卵やタケノコが見える

下山口から1Kmほど道路を歩き、ようやく宿についた。
山道中心で14時間のハードスケジュールだったが、十分な休息と栄養さえとれていれば案外大丈夫だ。

この日の宿は湯の峰温泉「民宿 ゆの里」
一名、一泊二食7000円。
提示料金のほかに入湯税と消費税が加算される。
建物は新しい感じで清潔感がある。
温泉は源泉かけ流し。飲むこともできる。
あゆ料理がうまい。

2011年5月6日

38日目 中辺路1 

38日目(2011.5.5)

朝飯はおにぎりセットとカツカレー。
前日にスーパー「オークワ」で半額になっていたものだ。
このオークワ、こちらではメジャーなスーパーらしい。
スーパーに入るのは旅を始めて以来初であった。
近所で値引き品を漁っていた大学生活を思い出す。

新宮の民家を抜け堤防沿いに出る。
途中から堤防とJR路線の間の道を歩いていたが、どうやら正規ルートではなかったらしい。
パンフレットでは堤防の海岸側を歩くことになっていたようだ。
どうりで電車が近かったわけだ。
ちなみに地元の人も、僕が歩いた道をガンガン歩いていた。

今日はちょっとした山道、高野坂を通った。

「マムシ注意」の看板がところどころにあった。熊は熊鈴で予防できるがマムシは避けようがなさそうだ。
出てきたときに噛まれないように注意するしかない。

高野坂を抜けてから那智に着くまでは道路を歩いた。
間に古道も有ったようだが、情報を得たのが遅かった。
貰ったパンフにはその区間が載っておらず、那智近くの案内板を見て初めて知ったのだ。

那智についてこの先の宿の情報を集める。
まずは那智駅前の交流センターへ行ったものの、あまり有力な情報を得ることができなかった。
パンフも少なかったし。

交流センターで案内された旅館案内所へ向かう途中、民宿那智が目にとまった。
値段を聞くと、素泊まり3000円という。
今日の宿はここに決めてチェックイン。

荷物を置き、近くの旅館案内所、那智勝浦駅の観光協会の二か所で宿の情報を得た。
それを頼りに明日の宿を決める。
明日の宿泊地は湯の峰温泉。
かなりの強硬スケジュールとなる。
夜明け前に出発だ。


37日目 伊勢路8(ラスト)

37日目(2011.5.4)


熊野市の民宿ハタイを出発。
新宮へ向かって南下する。
今日で伊勢路も最後だ。

ひさびさに山道が無い日だった。
コンクリートの上をガシガシ歩く。
体力的には楽だが、足の裏への負担が大きい。

そして山道と比べると、他の旅人や地元の人と交流する機会に乏しい。
登下校中の生徒に笑われたら「東京から歩いてきたよ!」と声を掛けるのが常套手段だが、祝日なのでその機会も無かった。

途中、僕よりも大きな荷物を背負った男が前方に見えた。
体も荷物もでかい。
テントでも入っていそうだ。
彼は結構な早歩きで姿をくらました。

昼過ぎ、熊野川を渡って和歌山県に入る。

ありがとう三重県。

和歌山県新宮市の熊野速玉大社に参る。
ここは全国に約3000社ある熊野神社の総本山「熊野三山」のうちの一か所だ。
ツーリングに来ていたバイク軍団が能で使われる鼓(つづみ)の演奏を奉納しに来ていた。
八咫烏をモチーフにしたジャケットを着た厳ついバイク野郎達。
奇抜な髪の色に顔面ピアスをしている人もいて、なかなかに面白い光景だった。
信仰と現代文化との融合という点で、アメリカの福音教会が各種音楽ジャンルを通じて信仰を説いていることに似たものを感じる。


駅の方へ赴き観光案内所でこの先の道と宿の情報収集をした。
この先で最もメジャーなルートは、熊野那智大社と熊野本宮大社を通る中辺路(なかへち)だという。
パンフを貰い、宿も斡旋してもらった。

今日の宿はJR那智駅からほど近いビジネスホテル紀州。
通常の客室は4000円だが、となりの建屋の客室は3000円だ。(素泊まり)
以前は料理屋だったところで、小上がりを改造して客室にしてある。
隣人が鼻をすする音が聞こえるほどの防音性である。
当然こっちの音も筒ぬけか。
立派な液晶テレビが備え付けてあるものの、最低音量でも隣に迷惑がかかりそうである。
ちなみにアメニティ完備。
コインランドリーは無料だ。
それなりに満足な一泊を過ごした。


36日目 伊勢路7

36日目(2011.5.3)


朝食に前日に買ったおいたカンパンを食べる。
安くて旨くて、カロリーを良く摂ることが出来る。


* * *
余談だが僕は大学で登山サークルに所属していた。
サークルの登山では習慣的に朝昼の食事に日常のメニューを取り入れており、
それが行動に大きな支障を与えていると感じていた。
カンパンはそれに対する処方薬たりえる。

僕が登山計画を立てるなら朝の食事はカンパンで決まりだ。
あとはお湯だけ沸かして飲物(スープ、お茶、コーヒー)を用意すればいい。
朝からコッヘルで米を炊くより相当楽。

昼飯も同じ感じにする。
カンパン以外の携帯食糧を取り入れてもいい。
行動中はとにかく簡単に。
道中でパスタを茹でるより相当楽。

このようにすれば汁気のあるパッケージを使わない分、ゴミの運搬も楽である。
食器の汚れをふき取るペーパーも最低限だ。

習慣に縛られて苦労する必要は無いのだ。
ただし、ゴミは汚いし手間もかかるが、夜はカレーとかでもいいと思う。
士気を維持するためにはそのくらい必要だろう。
* * *

民宿みさきはとにかく見晴しが最高な宿だった。
新鹿のビーチを一望できる。
10:00頃、遅めにチェックアウトして古道へ向かう。

民家の間を抜けて坂を登っていく。
道路に伏せている犬がシュールだ。



短めの古道である波田須の道を抜け、波田須の集落を通り抜ける。
ここらへんの水田は石垣の棚田のようになっていた。


波田須を抜けると大吹峠が待っている。
石畳を抜けて峠に着き、休憩しているとマダム2人にコーヒーを勧められた。
山頂での休憩は汗が冷えるので、温かい飲み物があるのは助かる。
さらに柏餅まで貰う。
ありがたく頂戴した。



そのうちに、後ろから白人の女の子2人と家族連れが登ってきた。
ホームステイ中のフランス人姉妹と、そのホストファミリーという。
姉妹は僕と同じくらいの歳だとか。
東京から歩いて来た僕だが、ホームステイをする勇気があるかと問われれば、微妙である。
別ジャンルの凄さを感じる。
将来歩いてフランスに行く機会があるだろうか。


大吹峠を抜けて大泊の町へ入る。次は松本峠だ。
伊勢路では最後の山道となる。
ゴールデンウィーク中ということもあってか人が多い。
今日の宿がとれるかどうかが不安になってきた。

熊野市街について最初に見つけた民宿、ハタイで部屋の空きを尋ねた。
空いている。
まだ14時前であったが、勢いでここに決めてしまった。
チェックイン後、女将が手作りのさんま寿司を振る舞ってくれた。
このあたりの名物だそうだ。
振り返ればこの日に食べたご飯ものはこれだけだった。

夜は雨が降り、さほど空腹でもなかったので(色々と頂戴した物を食べていたので)、三木里ビーチで猫屋さんに貰ったカロリーメイトと朝の残りのカンパンを食べた。

いよいよ伊勢路も終盤だ。



36日目(2011.5.3)

35日目 伊勢路6 本格的に飯を貰う

35日目(2011.5.2)


朝、酒が抜けきっていない体を起こす。
前日に深夜まで飲んでいたのだ。

朝食をとると酒の気だるさは抜けていた。
メニューはバームクーヘンとUFOやきそば。
バームクーヘンは、同じ価格帯の商品で最も高カロリーなものを選んだものだ。

UFOやきそばを調理する必要があるが、お湯が無い。
女将が風邪気味なところを無理して泊めてもらったという経緯があるため、休んでいる所をお湯を用意して貰うのは忍びない。
そこで、ポットに残ったお茶で麺をふやかした。
お茶が50℃くらいなので調理できるまでに多めの時間がかかる。
アツアツではないものの、味に問題はなかった。
案外どうにかなるものだ。

前日に引き続き、ほとんどの時間が山道だった。
ヨコネ道、三木峠800m、羽後峠900m、曽根次郎坂太郎坂3900m、仁木島峠逢神峠3000m
そのほかにも短い古道が何か所かあった。

三木峠と羽後峠の間の古道に入ろうとすると、小学生の団体が出てきた。
先頭にいたおじさんは、なんとこれから行く道を発掘した人だという。
古道の発見、整備、管理を地元ボランティアがしているということだ。
彼らの力で快適な古道歩きが実現している。

児童や先生ともしばし交流する。
ここでもいつものやり取りだ。
「どこから来たの?」「東京から歩いて」

みんな一様に驚いてくれる。
先生「え、東京から歩いて?」
児童「すげー!」
そして質問攻めにあう。
「どこまで行くの?」「どこで寝るの?」「どこでごはん食べるの?」「世界一周するの?」
子供達は知ることにどん欲だ。
これだけの反応をしてくれると僕も非常に嬉しい。

昼過ぎ、曽根次郎坂太郎坂の峠で休んでいると、東京から来ているマダム5人と出会った。
彼女達は毎年来ていて、少しずつ熊野古道を歩いているそうだ。
「これ、食べないから」
と、おにぎりを貰った。
他にお菓子とバナナも頂いた。
伊勢路に入ってから昼飯を食べないことが習慣化していたが、やはり空腹である。
ありがたく頂いた。

17時過ぎ、新鹿に到着した。
食事をして宿へ。
民宿みさきは海沿いの宿で、素泊まり3000円。

洗濯機が使える。
松阪以来、久々の洗濯だ。
衣類にしみ込んだ汗の塩を落とす。

部屋で前日のキャンプで快さんがくれた淡麗を飲む。
つまみは干し梅。
以前に康栄閣(山梨県身延)で貰ったものだ。
善意の味を噛みしめて就寝。



35日目(2011.5.2)
歩行距離16Km
より大きな地図で 35日目 を表示

34日目 伊勢路5 三木里キャンプに招かれる

34日目(2011.5.1)

旅荘竹美の朝食。
一泊朝食5300円と割高だが、そのぶん豪勢である。
御飯をモリモリおかわりしてから出発。

尾鷲市街、コンビナートと発電所がある矢浜町を抜け、伊勢路最大の難所、八鬼山へ向かう。
その途中で予報通り雨が降ってきたので雨具を装着する。
登山口では熊出没の注意書きがあったので、さらにクマ除けの鈴も装備して入山。

湿度100%の山道をひたすら登る。
内側からは汗、外側からは雨粒が全身を濡らす。

山頂の東屋で休んでいると寒くなるくらいに衣服が水を含んでいた。
前日貰ったチョコレートを頬張り、体が冷える前に再び歩き出す。

下りに入る前に見晴らし台を通った。
パンフには「絶景!」と書かれているが。


雨で景色が見えないのは残念だが、見どころもある。
濡れた古道の石畳や霧のかかった林はミステリアスな雰囲気を醸し出しており、その中を歩くのはなかなか乙である。

雨のせいかサワガニが道に出てきた。

下山口付近。

リメンバーヤーキヤーマーと読むのだろうか。
地元では熊野古道の世界遺産登録を快く思っていない人も居るらしく、三木里登山口近くで所々にその旨の看板が付けられていた。

三木里の町に入り、ビーチ沿いの堤防を歩いていると、かっぱを着たおじさんに出会った。

浜にキャンプを張っているそうだ。
「一杯飲んでくか?」
面白そうな人だったのでホイホイついて行った。

彼は「ねこや」さん。
長年この時期にキャンプを張っているらしく、地元に詳しい。
交流も深いようだ。
キャンプに猫がよく集まってくるらしく、それで「ねこや」というニックネームらしい。
一緒にいたアンジーは音楽ライブに出演した直後にここに駆け付けたということだ。

夕食にも誘われた。
せっかくなのでご相伴にあずかることに。

宿のチェックインを済ませ、浜に戻ると二人は車でデートに行ってしまった。
しばし一人、他人のキャンプで荒れた海を見る。


かなりシュールな状況だ。
寒いし!

一旦宿に戻り、風呂を済ませてから晩飯を頂きに行った。
晩飯を頂いた、というより、宴に加わった、という感じだ。
他のメンバーも皆気さくで、楽しい夜を過ごさせてもらった。




ねこやさんの作る飯がうまかった!
椅子で寝てしまったところを起こされ、宿に戻ることにした。

帰り際にメンバーのひとり、快さんが淡麗生をくれた。
「気持だけ貰います!」
「いーや、ダメだ、受け取れ!」
酔っ払いめ。
しかし僕も酔っ払いなので普通に受け取って宿に向かう。

時刻は既に深夜1時過ぎだった


2011年5月1日

31日目 伊勢路2

31日目(2011.4.28)

ウィークリー(デイリー)マンションの室内
共用だが、清潔なトイレ・バスがつかえる
これで素泊まり3400円は良い
ただし男性限定とのことだ

出発

前日から使っている道案内
外宮前の観光案内所で貰った

伊勢市の内宮~和歌山県との県境の新宮までのルートが記されている
ルートは熊野古道伊勢路(いせじ)

再び外宮へ



正宮
ここから先は撮影禁止

筋向橋(暗渠)
かつて江戸 - 伊勢の距離は
日本橋 - 筋向橋の間を指していた






田んぼ



たんぼが続く


中古車を買うと松阪牛が付いてくる


田丸城



南からみた田丸城

接待地蔵尊

東外城田神社
鳥居のトンネルがある




このあたりで右脛が痛み出す
座って休憩していると、車で乗り付けたおばちゃんに道を訊かれた


道案内をするのは岡崎以来、二度目だ

こんなときiPhoneが役に立つ

たけのこ採りに誘われたが、おばちゃんは車だったので丁重にお断りする

おはぎを二個もらった

俗称 金比羅さん




西外城田神社 


ここらへんで再び脛が痛くなる
座って休憩
おはぎを食べる
うまい!


伊勢路最初の峠へ入る



展望台へ寄り道

岩をくり抜いた切通になっている



三重で茶畑を良く見る
静岡では市街地を多く通ったため、茶畑を見る機会が少なかった




寺子屋跡












竹林の脇にタケノコがあった



地味だがちゃんとパンフにのっている 





天守閣?
宗教団体の施設らしい


腰掛岩に腰掛けてはいけない

国道42号線でレストランくまさんに出会った
野生のくまさんには出会いたくない


サワガニ?

未舗装の道も多い

日が暮れる前でよかった
あやうく、岐阜の肝試しの再来である 


夜道で一番怖いのは僕自身に違いない

JR三瀬谷駅ちかくの旅館、萬栄に到着

40Kmにも満たない道のりだが、峠があるとかなり時間がかかった
この先も峠は続く



31日目(2011.4.28)
歩行距離37Km(トータル831Km)

より大きな地図で 31日目 到着地(西) 出発地(東、伊勢市) を表示

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